大連歴史




大連は戦国時代に燕「えん」の国に属し、秦代は遼南、遼東郡に入った。紀元前221年秦朝全国の統一された後、農業生産の励む、大連地方の経済に促進する。西漢時代に皇帝漢武帝が遼東を開発するために、山東と河北一帯から大連地区に移民させた。三国両晋時代に大連地区は遼東郡に属する。


唐代はじめ、大連は「三山浦」とよばれる小さな漁村に過ぎませんでした。しかし、この地には上質な青泥が有ると伝えられ,人々はこの地を掘り起こし家を建てたそうです。そして長い年月がたって、ついには窪地になり、明清代以来大連が「青泥窪」と呼ばれるようになりました。現在でも大連駅付近が「青泥窪橋」と呼ばれているのはこのためです。


1894年7月、日清戦争(中国では中日甲午戦争という)が勃発し、翌1895年「下関条約」(同、馬関条約)でこの戦争は終結します。1898年、清朝政府は帝政ロシアとの間に旅順と大連を租借する条約を結びます。(同、旅大租地条約)翌年の1899年、青泥窪一帯は「ダーリニー」(達里尼)市とされた。その後、1904年2月、大連地区を主戦場とする日露戦争が勃発。この戦争は翌年1905年の「ポーツマス条約」(同、朴茨茅斯和約)にて終結し、日本による植民地時代が1945年の日本敗戦までの約40年間続きました。
なお、「大連」の名称については1905年、日本軍により「達里尼」から現在の都市名である「大連」と正式に改称されました。


終戦後、ソ連紅軍が駐留。1945年11月、大連市政府が正式に成立し、また1949年中華人民共和国が成立しました。1950年中ソ友好同盟条約が締結され、以降ソ連軍の旅順海軍基地撤退など行われています。1984年中国沿海解放都市の指名を受け大連経済技術開発区の建設が着手されました。
近年、街は大変綺麗になっています。ゴミが見られません。また、歩きながらタバコを吸っている人もほとんど見られないのは大連市の進める美化運動が実を結んだ結果と言えるのでしょう。





           

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